伝統の西洋彫りに日本の感性を重ねて 自分にしかできない作品を
目次
—オリジナルジュエリーのブランドを運営されています。作品の特徴やお仕事内容を教えてください。
西洋彫りを施したジュエリー作品を制作
私自身が国内外で買い付けてきた石に、西洋彫りや透かし細工を施した台座を組み合わせ、指輪やブローチ、ペンダントなどを制作しています。ひとつひとつ自身の手作業で彫る一点もので、オーダーをいただいて作ることも多いですね。
西洋彫りとは、タガネと呼ばれる彫刻刀のような道具を用いて、金や銀などの貴金属に繊細な模様を彫り込んでいく技法で、主にヨーロッパで発展してきました。筆で描いたような滑らかな曲線が特徴的で、草木や花などの模様が繊細に彫り込まれています。
私の場合は、ヨーロッパの教会や建築物から得たイメージに、四季の草花などを合わせてデザインしています。
自社のアトリエで制作し、販売はアトリエのショップ営業のほか、百貨店の催事や、ギャラリーでの個展で行うことも多く、月に1度のペースで全国どこかの百貨店に出店しています。
年に2回ほど石の買い付けに海外へ行きますし、海外の宝飾展へ出展することもあるため、出張が多い仕事でもあります。

—ジュエリー制作を志すきっかけは? また、どこで技術を学ばれましたか?
紆余曲折を経てイタリアへ
大学卒業後にイタリアのフィレンツェに渡り、ジュエリー製作全般の技術を学びました。
実はそれ以前に、大学で染織を履修していた関係で、フィンランドのテキスタイルの学校へ留学する話をいただいていたのですが、ちょうど大学卒業間際に父が大病で入院してしまい、その時は留学を取りやめました。家族が大変なときに、遠く離れた場所にいることが心配だったんです。
その後、父は回復しましたが、自分の病気で娘が留学を断念したことを心苦しく思っていたようで、あるとき「海外でしっかり好きな勉強をしておいで」と言ってくれました。
そこで、比較的行き来がしやすい国を候補として絞り、イタリアのフィレンツェに、テキスタイルと以前から興味を持っていたジュエリー製作が学べる教育機関を見つけて現地へ向かいました。1997年のことです。
インターネットで何でも情報が手に入る今とは違い、当時は行ってみて初めて分かることが多く、戸惑うこともたくさんありました。
当初はテキスタイルの勉強もするつもりだったのですが、彫刻や建築、絵画など、ヨーロッパの芸術文化の厚みと奥深さに触れるうち、細かい手作業で作り上げる伝統的なジュエリー製作に魅力を感じるようになりました。もともと、民族衣装や精巧な細工が施された工芸品を見るのが好きで、自分で手を動かして何かを作ることが好きだったんです。
ジュエリー製作の技法をもっと深く学びたいと考え、翌年、当時新しく開校したジュエリーの専門学校に入り直し、そこで石留めや西洋彫りなどの技術を学びました。

—イタリアで勉強しながら、現地の企業で職人として仕事をされたそうですね。
石留め職人として仕事をしたフィレンツェ時代
その後、修業を続けながら、現地のジュエリー会社に石留め職人として就業することができました。
石留めの作業は、細かい上にかなりの力を要する工程のため、職人のほとんどが男性です。女性もいなくはないのですが、30代半ばで辞める方が多いですね。当時、30歳を目前にした私は、自分は大丈夫だろうかと最初は少し不安でしたが、いい師匠に恵まれたこともあり、このままイタリアで長く仕事を続けたいと考えるようになりました。
そんな中、2001年9月にニューヨークでテロ事件が起こり、これをきっかけに状況が大きく変わりました。アメリカからの旅行客が大幅に減って観光業が大打撃を受け、瞬く間に欧州全体が不況に陥ってしまったんです。
特に、ジュエリー業界は景気に左右されやすい面があります。勤めていた会社も経営が難しくなり、人員削減のため、当時在籍していた私を含めた外国人3人は契約の延長ができないと言われました。なんとかイタリアに残って仕事を続け、学びを続ける道を探ろうと、現地の職安に登録しましたが、なかなか思うようには行きません。同時に解雇されたコロンビア人の同僚が「あなたは帰れる場所(国)があるからいいじゃない」と、寂しそうに言った言葉が心にずしんと響きました。
厳しい状況の中、仕事を探しながら、しばらくはジュエリー学校のアシスタントなどを続けながら作品を作りためていましたが、結局、2003年に日本に帰国する道を選びました。

—帰国されてから、ご自身のブランドを立ち上げるまで、さまざまな道を模索されたそうですね。
自身の名をブランド名に
帰国後、まずは表参道のギャラリーで個展を開きました。同時に、作品を置いてもらえそうなセレクトショップに営業したりと、自分の技術で生きていける道を模索しました。作品を持ち込んでも断られることが続き、日本のジュエリー工房への就職を考えたこともあります。ところが、日本の工房で行われている石留め技術と、私が学んできた技術は全く違うんですね。道具の名前からもう分からない。日本で就職するには、一から学び直しが必要だということが分かり、それは現実的ではないと判断しました。
どうするべきか考えていた時に、個展で作品を見てくれた方の繋がりで、百貨店の催事に出してみないかという話をいただきました。出店するにあたってブランド名をつける必要があり、そこで初めて『Kadomi』という自分の名前をつけて商標登録しました。
この時点でやっと、「もう自分の作品でやっていくしかない、しっかりやろう!」と、心づもりができました。
よく、「強い意志で目標に向かって突き進んできた人」というイメージを持たれがちなのですが、実際はそうではありません。「こっちがダメならこっちへ進もう」と、その時々の状況を見ながら方向を変え、結果的に今の道につながってきたというのが本当のところです。
—ご自身のブランドを育てるにあたり、工夫したことや心がけていることはありますか?
他にない個性をとことん追求
今のスタイルに落ち着くまでには、やはり試行錯誤を重ねました。
一度は市場のニーズに合わせた量産品の依頼を受けて試したこともあります。しかし、数を多く作るには、どうしても一つにかける作業時間が限られてしまいます。得意の〝作りこむ〟ということが出来ず、せっかくいい石に出会えても、石の良さを引き出すまでの手間がかけられない。そのジレンマがありました。
いつもオーダーをいただく常連さんからも「あなたが進むべきはそちらじゃないのでは?」と指摘され、確かにそうだと思ったものです。本来、あまり流行にとらわれず自分がやりたいことを追求する方なのに、この時はそぐわないことをしていました。
他で良いと言われている方法が、必ずしも私にとって良策とは限らないのだと思います。
いろんな方法を試しながら、ひとつひとつにしっかり取り組んで、納得いく作品を制作するという今の仕事スタイルに行きつきました。
流行や大量生産に流されるよりも、自分のスタイルをとことん突き詰めて個性ある作品を仕上げる方が、私には合っているし、お客様からも求められているのだと思います。
そうしてできたアイテムを見つけて、気に入ってくださる方がいるのはとても幸せです。
お客さんから「あまり見ないタイプの商品。Kadomiさんらしいデザインだから好き」という声をいただくと、この道で間違っていないのだとうれしくなりますし、気持ちが引き締まります。これからも、自分の目と感覚を頼りに、喜んでいただける商品を作っていきたいと思います。
マイフィロソフィ
若い時=『見る前に跳べ』
40代から=『今日がこれからの人生で一番若い日』
1日のスケジュール
05:30
起床
ハスキー犬2頭の散歩
1頭ずつ、それぞれ1時間
07:30
帰宅
犬の朝ごはんを準備
08:30
アトリエへ
朝食
メールチェックなど
10:00
作業開始
13:00
お昼休み
昼食
リフレッシュを兼ねて買い物に行くことも
14:00
作業に戻る
19:00
退社
夕食の準備等
21:00
夕食
23:30
就寝
こちらはポップアップや展示会がない日のスケジュールです。出張も多いのですが、もともと旅が好きで、仕入れと合わせて一人旅をすることも。旅先で民族衣装や装飾品を見てまわったり、その土地の食を楽しんだりします。愛犬2匹と一緒に過ごす時間もリフレッシュになっています。














































































